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サーモン (SS-182) : ウィキペディア日本語版
サーモン (SS-182)

サーモン (USS Salmon, SS-182) は、アメリカ海軍潜水艦サーモン級潜水艦の一隻。艦名はサケに因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。

==艦歴==
サーモンは1936年4月15日にコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工した。1937年6月12日にヘスター・ラニングによって命名、進水し、1938年3月15日に艦長M・M・スティーヴンズ少佐の指揮下就役する。
西インド諸島からノバスコシア州までの大西洋岸沿いに整調訓練および公試を行い、サーモンはニューハンプシャー州ポーツマスで第6潜水戦隊第15分艦隊に加わった。艦隊の旗艦としてサーモンは大西洋岸沿いに作戦活動を行い、部隊は1939年末に西海岸のサンディエゴに移動、姉妹艦のスナッパー (''USS Snapper, SS-185'') が新たな旗艦となった。
サーモンは1940年から1941年の大半を西海岸沿いに活動し、1941年後半に部隊および母艦のホーランド (''USS Holland, AS-3'') と共にアジアステーションに移動した。11月18日にホーランド、サーモン、ソードフィッシュ (''USS Swordfish, SS-193'')、スタージョン (''USS Sturgeon, SS-187'') 、スキップジャック (''USS Skipjack, SS-184'') はマニラに到着、アジア艦隊第21潜水分艦隊を形成し、日本の進出により緊張の高まる中フィリピンの防衛を担当した。ユージン・B・マッキンリー艦長(アナポリス1927年組)の指揮下、サーモンはマニラを拠点として、ルソン島西岸沿いに哨戒を行う。12月7日に日本軍による真珠湾攻撃が行われ、サーモンは11月27日以来、待機および監視体制のまま防衛配備に就いていたが、開戦と同時に直ちに戦時哨戒に切り替えることとなり、一度マニラに帰投した〔#SS-182, USS SALMON, Part 1p.7〕。
===第1、第2の哨戒 1941年12月 - 1942年3月===
12月20日、サーモンは最初の哨戒でフィリピン沿岸部に向かった〔。12月22日から23日にかけての夜、サーモンはリンガエン湾で浮上中に2隻の日本の駆逐艦皐月水無月と遭遇し、これを攻撃した〔#SS-182, USS SALMON, Part 1pp.8-9〕〔#木俣水雷p.51〕。魚雷を放射状に発射することで両方の目標に損傷を与えたと判断され、敵艦はコースを反対方向に変えていったと報告した〔。当の皐月は爆雷攻撃で対抗した〔〔#五水戦1612pp.12-13〕。その後サーモンはスコールの中に隠れ、敵との接触を回避した。1942年に入ってサーモンは南へ移動。およびミンダナオ島の南端で活動し、続いてモルッカ諸島ブル島セラム島の間にあるマニパ海峡に移動した。2月に入ってからは、サーモンはフローレス海、次いでティモール島の北方からスンダ列島ロンボク海峡を哨戒した。2月13日、サーモンは55日間の行動を終えてジャワ島南岸のに帰投した。
2月18日の日本軍によるバリ飛行場の占拠、および2月20日のバリ島沖海戦での米英蘭豪軍の敗北で、スラバヤのの基地は放棄を余儀なくされ、チラチャップは危機にさらされた。潜水母艦ホーランドは2月20日にその拠点をオーストラリアのに退却することとなった。
2月20日、サーモンは2回目の哨戒でジャワ海に向かった〔#SS-182, USS SALMON, Part 1p.45〕。セパンジャンとバウェアン島の真西の海域を哨戒。2月24日、サーモンは大型船と駆逐艦を発見したものの、爆雷攻撃に阻まれて目標に上手く近接する事ができず、攻撃は不徹底なものとなった〔#SS-182, USS SALMON, Part 1p.47,58〕。翌2月25日にも単独航行中の大型船を発見し、複数回雷撃を行ったが目標は高速に物を言わせて去っていった〔#SS-182, USS SALMON, Part 1p.48〕。3月2日未明、サーモンは別の単独航行の大型船を発見し、魚雷を4本発射したが命中しなかった〔#SS-182, USS SALMON, Part 1pp.49-50, p.59〕。その5時間後、今度は3隻の輸送船を発見したが駆逐艦に阻まれ、2発の爆雷によって退散させられた〔#SS-182, USS SALMON, Part 1p.50,60〕。日没後、2隻の輸送船と2隻の駆逐艦を発見して接近していったものの、またもや駆逐艦の爆雷攻撃に阻止され、攻撃できなかった〔#SS-182, USS SALMON, Part 1pp.50-51, p.60〕。3月5日には香取型練習巡洋艦と思しき艦艇に対して魚雷を発射したが、命中しなかった〔#SS-182, USS SALMON, Part 1p.52,61〕。3月23日、サーモンは31日間の行動を終えてフリーマントル#SS-182, USS SALMON, Part 1p.76〕に帰投した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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